『ウェイワードパインズ』の原作を読み終えました。
ドラマ終了後から、原作はどんなふうに描いていたのか、ラストは本当にあんなだったのか、もしかして続きはあるのか・・・などと気になることが多々あり、ちびちびと読み進めやっと読み終わりました。これは(翻訳ものにしては)すごく読みやすい本でした。
・パインズ -美しい地獄
・ウェイワード-背反者たち
・ラスト・タウン -神の怒り
原作は3部作で、ドラマは3冊を総合的にまとめて10話のストーリーに仕上げらていました。
ドラマと原作の大きな違い
まずドラマとの大きな違いは、ウェイワードパインズでの学園の様子が原作では全く出てこないことです。学園に関しては、ベンが何を教わっているのか知ることができないというイーサンやテレサの不満を持つ様子で描かれていました。
学園や第一世代に関してはドラマのオリジナルで、ピルチャーの洗脳を描くためメーガンを強烈な教師役として登場させたのかな?と感じます。メーガンは原作でも登場するのですが、ほぼ印象に残らない役どころ。与えられた職業はドラマと同じく教師ですが、あの強烈キャラはドラマのみです。
エイミーはもちろん、他の第一世代たちもドラマのみの設定でした。
テレサ&ベンが街へ来た経緯と時期
ここも原作とドラマとでは違います。
イーサンが事故に遭ったと聞いて悲嘆にくれるとこは一緒なのですが、事故後行方不明になったイーサンを捜しに(ウェイワードパインズ方面へ)出掛けたのではなく、ピルチャー自らテレサを訪ね、イーサンにもう一度会えるとしたら(自分の指示に従い)一緒に来るか?と誘うのです。
イーサンを亡くし会いたい気持ちが強いテレサは、一度はピルチャーの誘いに応じかけるのですが、幼いベンの姿を見て思いとどまり、断ります。でもまぁ、ピルチャーの性格はドラマ同様なので、たとえテレサが断ろうとも拉致するつもりで、一応誘っていたのでした。このとき、ベンはまだ7歳。原作のベンは幼く可愛い小さな少年です。
そして、テレサ&ベンはイーサンより先に目覚めさせられ、アダム・ハスラーと一緒に暮らすことになります。テレサたちは、イーサンより5年先に街の住人になり、ハスラーと約一年夫婦同然の生活をしてました。
アダム・ハスラーがピルチャーの計画に参加した理由
そもそもは、一緒に2000年の旅に出る予定ではなかったハスラーですが、テレサと一緒になりたい一念で2000年の眠りについたのでした。
イーサンを起こす前に自分とテレサを起こし一緒にしろとピルチャーに約束させて、です。テレサのことが好きで仕方なかったハスラー。念願かなってテレサと一緒になれたのですが、ハスラーの幸せな生活は約1年ほどでした。
ハスラーの任務は、ドラマと同じく外の世界を調査すること。テレサとの生活を断たれフェンスの外へ出され、どこにも人間を見つけることができず、3年以上の探索の旅を続けていました。(そんなに長期、アビーの大群から身を守れることが信じられないけど)
心の支えはテレサとベンだけ。ハスラーは、ピルチャーが電力を落としフェンスを開けた後、探索から街へ戻ってくるのですが、アビーはいるわ、テレサはイーサンの元に戻ってるわ・・・自業自得とはいえ報われないハスラーでした。
その後、テレサを想うあまり自分の犯した罪(イーサン家族をピルチャーの計画に巻き込んだこと)を後悔したハスラーは、自殺を考えるのですが、同じく自殺しようとしていたケイトと出会い、ふたりは再出発をすることになり街へ戻ります。ケイトは夫ハロルドを亡くし悲しむのと同時に、テレサの死を願ってしまった自分に嫌気がさしていたのでした。(イーサンとケイトの関係はドラマと同じ、ハスラーがイーサンたちの上司ってのも同じ)
リセットされていたイーサン
ドラマでは、ピルチャーにはむかったパムやスタッフを再度生命維持装置へ入れようとしてましたが、原作ではイーサンが何度か(3度だったような?)維持装置から出され→街に適合せず→再保存・・・という行程を歩んできたと書かれていました。
維持装置に入ると、起こされた後の街での記憶はリセットされるらしいです。そんなわけでイーサンは、起こされるたびに街からの脱出を試みていたようです。ピルチャーがイーサンを殺さず、何度もリセットを繰り返し目覚めさせていたのは、利用価値があると思ったから。
ピルチャーとパムの関係
ここも大きく違います。
ドラマでは兄妹でしたが、原作では赤の他人。
パムはピルチャーが『ウェイワードパインズ計画』の準備を進めているさなか、出会ったストリートチルドレン(当時14歳)でした。里親のもとから家出したパムは最初は何も知らずにピルチャーの元へ来たけど、街ではドラマ同様右腕的存在になってます。
原作のパムは、若く美しい容姿(らしい)。たぶん、街での年齢は40歳前後じゃなかろうか?(目覚めた時期が早いので、それなりに歳はとってる)個人的には、パムとピルチャーを兄妹という設定にしたのは良かったなと思います。赤の他人だと、あの絶対的な信頼関係(最後は違ったけど)を説明するのは難しいし、それなりのエピソードも描く必要がありそうなので。
そして、ピルチャーには子供がいるという設定でした。
奥さんは一緒に行くことを拒み、娘とともに現世へ残ろうとするのですが、ピルチャーは娘を強引に連れ去ります。2000年後へ・・・。奥さんはポープに殺させてました。
ピルチャーの娘が殺害され、事件の真相を探るようにピルチャーはイーサンに命じるのですが、実は犯人はピルチャーとパム。このことがきかっけで、管理スタッフの中にもピルチャーたちに不信感を持つ者が出て、最終的にピルチャーの悪事を暴き、イーサンが街を救う材料となります。
改心しなかったパム
ドラマでは、パムは最終的に改心してケイトたちと新しい街作りを!な~んてことを言ってましたが(それも失敗だったけどねぇ)原作では悪い奴のままでした。
ドラマ序盤のパムの印象そのままの人物。イーサンに対し、高圧的で挑戦的。街の掟も大好き。イーサンを目の敵にする点もドラマの序盤そのまま。
原作のラスト
さて、気になる原作のラストですが、ここが大きく違っていました。
「イーサンが街の人々に真実を暴露し、ピルチャーが電力を落としアビーを街へ入れた」というとこは一緒です。
アビーが街へ侵入してからの描かれ方は、本の方が長く悲惨な感じ。みんなで管理棟へ避難するということもなく、学校の中へ避難したグループ(子供たちじゃなく)、反抗グループの隠れ基地へ避難したグループ、個々に逃げた人々。様々。
最終的に生き残った人類は、約250人。
ピルチャーはフェンスの外へ追放され、パムはハスラーに殺され、街の支配者はいなくなります。
イーサン(生きてます!)はじめ住人たちに残された課題は食糧問題でした。街の備蓄は、このままでは持ったとしてもあと4年。作物を育てるにしても寒い地域で望めず、温暖な地域への移動もできず・・・。
そのような絶望的な状況で、イーサンと住人たちが選んだことは、再び全員で生命維持装置へ入ること。
イーサンは、維持装置に入る前に捕えていたアビーをフェンスの外へ逃がすことにするのです。人類の進化系のアビーに、もしかしたら何かが通じるかも知れないし、次に目覚めるときにアビーがさらに進化して、違う生物に変わっているかも知れないという願いをこめて。
そしてラスト、イーサンが再び目覚めます。7万年後に・・・。
えーーーーー!!!!
なっななまんねんごーーーー!!!!
ドラマ以上とは言わないけれど、それなりにインパクトのあるラストでした。
ドラマのラストと、原作のラストと、どっちが面白いのか・・・。
7万年後ってほうが、予想もできない何かが起こりそうでしょうか?
原作を読んでみて感じたのは、実際このドラマの脚本はよく書かれていたなーということです。先にドラマを観てから本を読んだので、先入観があったのは事実ですが、俳優さんのイメージも違和感なくピッタリでした。
原作と違うオリジナルな部分(学園とか、第一世代とか、ピルチャーとパムの関係とか、ベンの年齢とか)も、ドラマを盛り上げてくれていたし、それはそれで面白かったなと思います。(イーサンの死と、ラストのオチだけはモヤモヤしたけど)
ドラマで描かれなかったけど見たかったかな?と思ったのは、ピルチャーの娘のエピソード。
生命維持装置に入れられた時は10歳で、『ウェイワードパインズ』で管理スタッフたちから愛され成長した娘。任務は街の住人たちを見張る為、住人に成りすまし街で生活すること。父ピルチャーに疑問を持ち、密かにケイトたち反乱グループと接触していて、結局裏切りがバレてピルチャーとパムに拷問のうえ惨殺されてしまうのだけど・・・。
これを入れるとドラマのストーリーが大きく変わると思うのだけど、見てみたかったです。